拝啓。
aloha川越です。
令和も5年度となり、特別支援学校を卒業された若い方々をお迎えしたaloha川越は、顔ぶれも新たに日々お仕事や訓練に励んでおります。
さて、特別支援学校と言えば、先日川越市内にある特別支援学校を訪問させて頂く機会がありました。
その訪問の折り、道すがら興味深い「或る物」が残されている場所に立ち寄ったので写真を撮ってきました。
今回のブログではその「或る物」についてご紹介できればと思います。
先ずはこちらの写真をご覧ください。
国道16号線近からほど近く、のどかな住宅街を縫うように流れる用水路の傍らに、あたかも世間の喧騒から身を隠すようにひっそりと「或る物」は佇んでおりました。
これはレンガでしょうか。
誠に、これはレンガによって造られた何ものかの土台に違いありません。
しかしながらこの朽ち果てたみすぼらしいレンガの土台には、趣深い歴史が閉じ込められているのでした。
皆様は西武大宮線という鉄道路線の名を聞いたことがあるでしょうか?
西武大宮線とは、かつて埼玉県内に存在した鉄道です。
この路線は現在の川越市とさいたま市大宮区の間を結んでいました。
20世紀前半に運行されたという西武大宮線は、現在のJR川越線(埼京線?)が開通するに至って利用客が激減し、その役目を終えたと伝えられています。1940年のことでした。
しかるに川越市内の鉄道廃止線路と言えば以前に本ブログでも紹介した西武朝比奈線が有名ですが、朝比奈線に比べると大宮線の存在感は遥かに薄く、筆者も最近になって初めてその存在を知ったのでした。
何故存在感が薄いのでしょうか?
理由の一つは廃線化してからかなりの時間が経ってしまい、その存在を証明する遺構がほとんど残っていないためでしょう。
「遺構がほとんど残っていない」と書きました。
より正確に言えば、実のところ西武大宮線の現存する遺構はただ一つしか残されていません。
そうなのです。用水路の傍らに忘れ去られたこのレンガの土台こそが、かつてここに西武大宮線が走っていたことを物語る、たった一つ残された痕跡だったのです。
そう思えばこそ、このレンガの質感がどこか周辺の空気になじまない圧倒的な深みを醸し出している気がしてくるのです。
老朽化などは問題の他でした。僅かに残された一塊の構造物は、半世紀を超える風雨によって摩滅を極度にし、原形を失いながら自然に帰っていくかのようです。
無論、廃線の大部分は人の手によって撤去されていったに違いありません。
概して役目を終えた人工物は人工的な手段によって撤去されるのです。
一体、なぜこのレンガの土台の一部分だけが撤去されずに残されているのでしょうか。
用水路の上はごみ置き場があり、堅牢な金属製のカゴが設置されていました。カゴは下部に組まれたH鋼によって中空にとどまり、そのH鋼の一端は大宮線の遺構のレンガが支えているのでした。
もしかするとこのごみ置き場のカゴを設置した人物は、レンガの土台をH鋼の土台とすることで、役目を失った西武大宮線の遺構に、再び役目を帯びさせようとしたのかもしれません。
目線を変えれば日常は新しい発見の宝庫です。皆様ももし興味があればご自身のお住いの地域でこのようなスポットを探しに行ってみてはいかがでしょうか。
敬具✋